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東日本大震災当時に不安だったことや必要だった準備・対策を振り返りました。

こんにちは。レスキューナウです。

今から14年前の3月11日、東日本大震災が発生しました。

弊社レスキューナウの社員の中には、当時もレスキューナウで働いていたメンバーもいれば、別の会社で働いていたメンバー、当時学生だったメンバーもいます。

その時に何を思い、どんな対策をとったのか。

そして、どんな準備をしていればよかったのか。

今回のブログではレスキューナウのメンバー数十人の証言をまとめます。

この記事の目次[非表示]

  1. 1.どんなことに困ったり、不安になったのか?
  2. 2.災害情報、津波情報などは、どこで、どんな媒体で、手に入れていましたか?
  3. 3.どんな準備、備えをしていたか?
  4. 4.何を準備したり、対策をしておくと良かったと思うか?


どんなことに困ったり、不安になったのか?

住んでいた地域も違えば、年代もそれぞれですが、家族状況によってもそのときに感じたことが様々あったようでした。

映像に心が痛み、泣きそうになったことを覚えています。
「今後日本はどうなってしまうのか」と思っていました。食料は数日すれば落ち着くだろうと思いつつ、被災地へ物資はいつ届くのか心配していました。

翌朝くらいまで停電していた記憶があります

安否確認は起動しているか。
会社に早く帰らねば。
家族は大丈夫か? どうやって帰るか?

一本道路を挟んだ反対側のエリアから停電が起きていて、自分が住んでいる場所は何らかの原因で免れ、水道も赤水が続いたくらいでした。

早めにガソリン満タンにしたのはいい判断でしたが、安全な場所で車中泊したほうが良かったと思いました。
妻に怪我が無いか心配でしたが、メールで連絡が取れました。

食料や生活用品などの物資が手に入らなかったこと、真っ暗な夜など、小学生の自分にとっては普段の生活がすべて一変しました。

幸いにもガスコンロの準備などはあったので、ある程度温かい食べ物を食べることはできたのですが、今振り返ってみるとお風呂に浸かれなかったことが「いつ普通の生活ができるようになるのかな」と不安になる要素として大きかった気がします。

一方でご近所さん同士で手に入れた物資を分け合うなど、助け合いながらみんなで普段の生活を取り戻そうとしていました。

友人が帰宅困難になりました。迎えにいきたかったですが、勤務中のため難しく、連絡も時間差があって不安でした。

帰宅はできなかったものの、食料や水、毛布はコンサート会場に備蓄があったので困りませんでした。電話が繋がらず実家になかなか連絡できなかったのは少し困りました。翌日には帰れましたが、最寄り周辺は1週間くらい電車が動かなくて大学やバイトに行けなくなりました。

スマホを持っていたが繋がりづらく、じきに電池切れになりました。PHSは繋がったので家族の安否は確認できました。

電車が止まり帰宅できなくなった。遠方まで帰らないといけないので、どうしようかと。翌日運転再開されたが、何日も運見合わせになっていたらどうなっていたかと思う。

食事は、ホテルのスタッフが炊き出しをしてくれた。おそらくスタッフの皆さんも家に帰りたかったとおもいますので、感謝です。

地震が起きてすぐにテレビで震源地が確認でき、自宅回線から岩手で暮らす祖母に電話。安否の確認がとれました。
電車が止まったため、帰宅できなくなり本社に泊まりました。

余震がかなり多かったので、離れた関東エリアであっても常に揺れている感じがあり、気分が悪くなりました。

電車が止まってしまいなかなか帰宅できなかったので、電車が動くまでがとても長く感じました。
結局日付が変わる前ぐらいには帰宅できましたが、最悪会社に泊まることも想定して会社近くの店に日用品を買いに行きました。

交通機関が止まったものの、帰ろうと思えば帰れたのですが、家族と連絡が取れた事と、メンバーとしての使命感もあり、会社で一夜を明かしました。

職場のテレビで津波が迫る様子を見て、津波の恐ろしさを実感しました。

また、原発の情報が錯そうしているのを見て、関東以北の状況が心配で不安になりました。

関西でも計画停電等の影響が出るのかも心配になっていた。

断水にはならなかったのですが、飲料水の確保が困難で、早朝からスーパーに並ぶなどしていました。
ガソリンの入手が困難になり、たまたま給油できても数時間待ち・1人1回10リットルまで、などの制限があり、車で買い物に行くことを極力控えました。

テレビでは津波の映像ばかりで、何が起きているのかも分からず、家族とも連絡が取れない時間が長くて心配でした。

震災翌日に実家へ帰宅する際、最寄り駅の電車が運転を見合わせており、遠くの駅までバスで行きました。実家は埋立地のため、(実際に被害はでませんでしたが)液状化の被害がでないか不安でした。

当日よりも、地震後の生活が不安でした。放射線量を毎日気にしたり、水をもらいに行ったりもしました。
計画停電の話もありましたが、実際に停電にはなりませんでした。隣の市では実際に停電になる時間帯もあったそうです。
子供がいる家庭は早めにお風呂や食事をすませたり、とても不便そうだったのを思い出しました。

スーパーから食料品がどんどん姿を消し、節電要請で普段よりも店内が暗くなっていたので、自分も非常事態の真っ只中にいることを再確認しました。インスタント系や乾麺の食事が続いたときは、やはり栄養バランスのとれた健康的な食事を摂りたくなりました。

余震が非常に多く、家で寝ていても常に揺れてるような感覚が続きました。眠りは浅かったと思います。

地震直後に会社関係者が直ちにコンビニでおにぎりなどを買ってきてくれたことで、(地震直後は物流が滞ったため)オフィス内で当座の食べるものに困らなかったことは大きかった。

停電し、発生から1日以上電気が使えませんでした。
幸い、ガスストーブがあり、普段から使っていたので暖を取ることができました
その日に下宿先に帰る予定だったが延期しました。

退勤後、街に出ると津波警報が出ているのに誰も気にしていない雰囲気があり、それが不安でした。帰りのバスに乗り、高台に上った時はホッと安心できました。

帰宅したら、今度は関東の実家や、東北に暮らす友人のことが心配になり、実際に岩手に住む大学の同期から「宮古市にある実家と連絡がつかないし、自分も停電でニュースが見られない。何か宮古市のことで分かったら教えてほしい」とメールがありました。

料理店から動けなくなっていた女性数名と一緒に避難所となった学校まで行きました。その避難所で知り合った方が同方面に居住していて家族が車で迎えに来ている事を知り、最寄りの駅まで同乗させてもらい、そこまでは自分の家族が車で迎えに来てくれたので、なんとか深夜に自宅につきました。

予約していたホテルにたどり着けず、キャンセルの連絡もできなかった。震源から遠いため、代わりのホテルは確保できた。翌日に改めて移動する手段も確保して眠ろうとしたが、眠れませんでした。

自分は公立の小学校に通っていましたが、家からは電車で通学していました。低学年の弟も同じ小学校に通っていましたが、学校がパニックになり、親が迎えに来るまで待たせるクラス、子供たちだけで勝手に帰らせるクラスがばらばらでした。

状況が全くわからないまま、電車通学の自分は、担任に帰らないよう指示されました。一方、弟は家の鍵を持っていないにもかかわらず、帰ってしまいましたが、電車が動いておらず再度学校に戻りました。

家族ぐるみで仲のいい友達のお母さんが、たまたま私たちを校庭で見つけて、「うちで待っていいよ」と言ってくれ友達の家で待機し、TVで震災の状況を初めて知りました。
祖父・祖母が岩手県の沿岸沿いに住んでおり、隣町が被害を受けている様子がTVで映されたときは不安でした。
数日後やっと電話がつながり、無事だということがわかるまでずっと不安でした。

当時学校にいた私にとって震災直後に一番不安だったのは、大人たちがパニックに陥り、子どもたちにどんな状況が起きているのか情報を提供してくれなかったことです。

電車が来なかったり、バスが来なかったりしました。

この地震で今までの安全、食料や、電気、水の大切さがよく分かり、感謝の気持ちがわきました。

普段は当たり前にいてくれる家族や周りの人のありがたみを実感しました。


災害情報、津波情報などは、どこで、どんな媒体で、手に入れていましたか?

  • テレビ
  • Twitter
  • ラジオ
  • 防災無線
  • SNS
  • 気象庁サイト
  • インターネット
  • メールサービス

など。当時考えられ得るあらゆる手段で情報を集めていたようです。


どんな準備、備えをしていたか?

それぞれ色々な対策をしていたことが分かりますが、今振り返っても有効なものが多くあるように思います。

  • 家具の補強
  • 家族でどこの避難所に行くか話していた
  • 車内に軽い食料と水など
  • 地震後に車内、自宅とも備蓄と転倒防止を強化した
  • 普段から少し多めにストックしていた
  • アウトドア用品が自宅に揃っていたのが役立った
  • パスタなど乾物、ソースなどの缶詰食事、着替えなどをストック
  • 懐中電灯
  • 社内にいたので備蓄品は一通りあった
  • 水をすぐにお風呂に貯めた
  • 発災時の対応確認
  • 非常用としても使える照明が計画停電のときに非常に役立った。
  • 昔ながらの湯たんぽ
  • ユニット1Dayレスキュー
  • ガスコンロ
  • 水は2ℓ入りをケースで買い置きしていた
  • 携帯充電用電池
  • キッズケータイ
  • いつでも使えるように現金を準備していた

何を準備したり、対策をしておくと良かったと思うか?

こちらは今後の災害に備える意味でも重要なテーマですし、一番危機感が高い発災当時を振り返ってのことなので、ぜひ参考にしてみてください。

その場その場で対応せざるを得ないということを痛感しました。
動かないことの大切さや公共交通機関に変に頼らないというのはこのとき身をもって体験しました。

寝る場所に近くに倒れてくるものをおかない、あるいはしっかり耐震補強することは徹底しています。

水の準備だけはしっかりするようにしました。

家具の固定

現金。タッチ決済やクレジットカードが使えなくなることに備えて。

部活時でも防災訓練をした方が良いと思いました。

どの組織でも、訓練のシチュエーションは多ければ多いほど良いと思います。

冷蔵庫上の電子レンジの固定が甘く、落下して破損し非常に困りました。しばらく電子レンジが品薄で手に入らず不便でした。

家族との連絡方法を定期的に確認しておくと良いと思います。

お風呂の残り湯があったのでそれをトイレに利用していましたが、それがなかったら結構大変だったのではないかなと思います。

明かりの確保や入浴は、正直あの状況下で必須ではなかったと思うのでまだ我慢できましたが、飲食料や生活用品はご近所さんや支援に頼ったところもあったと思うので、事前に準備しておくことが重要だと思いました。

毎日サラダを食べたいと思っていますが、当時はなかなか手に入らず、ほとんど野菜なしの生活でした。温野菜の冷凍食品をローリングストックしておきたいと思います。

家族と地震が起きた場合の連絡先、避難場所の共有。

外出中であれば、モバイルバッテリーや現金、常備薬は持っておいた方が良いなと思いました。

帰宅困難者にならないように会社にも装備はしておかなければと思いました。

何かあった時の人的ネットワーク構築

引越し先の標高は真っ先に調べました。

「非常用持ち出し袋」

食料よりも排泄関連の対策のほうが重要だと思っています。食べ物は我慢できても排泄は限界があるので。

飲料水のストックがほとんどなかったので、震災をきっかけにローリングストックするようになりました。車もガソリンの残りが半分ぐらいで満タン給油するようになりました。

子供用品やポケットサイズの食品(お菓子)

外出するときは必ずメガネと医薬品をバッグの中に入れています。飲み物もミネラルウォーターを持っていきます。手洗いや負傷したときなども使えるからです。

マイコンメーターの復旧のしかたは一度調べておくと良い

避難場所の確認 

ペット用の餌と現金を、多めに用意しておけば良かったと思いました。

チョコや飴、携帯用バッテリー、飲料水この三つは常に持っていた方が良いと感じました。

目的地に到達できないときの代替手段の検討・確保

防災頭巾、ヘルメット


いかがでしたでしょうか?

今思えば「あの時あれを準備していれば、、」というのはたくさんあったように思います。

ぜひ今できる準備を着実に実行いただき、会社の事業継続だけでなくご家族の安心・安全も確保できるよう今のうちから考えてみていただけると幸甚です。


レスキューナウでも企業向けの防災グッズを販売しております。

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レスキューナウは設立から20年以上「危機管理×情報技術」に取り組んできた、
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現在も「情報配信サービス」「危機管理サービス」「防災備蓄品」の3つの事業を軸に、
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